Catedral de Westminster, Londres, Inglaterra, 2022-11-23, DD 49-51 HDR
写真: Diego Delso / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

1869年に見つかった二つの時代の石棺

ウェストミンスター寺院で1869年に発掘された石棺について、考古学者のワーウィック・ロッドウェルは、中世の修道院長Ælfwig(在任993〜1020年)の墓だったと論じました。4世紀のローマ時代の石棺が、約1000年後に埋葬に再利用されていました。

石棺の側面には、ヴァレリウス・アマンディヌスを記念するラテン語の銘文があります。ふたには10世紀または11世紀の大きなラテン十字が彫られ、異なる時代の装飾が一つの墓に残されています。

石棺は1869年の発掘後に調査されましたが、埋葬はそれ以前に荒らされていました。2016年、保存作業に伴ってふたを開けると、内部から人骨が見つかり、埋葬された人物の年代や身元を検討する手がかりになりました。

人骨の年代と埋葬の特徴

人骨は男性のもので、推定年齢は40代後半です。放射性炭素年代測定では、埋葬時期は11世紀への変わり目ごろとされ、ローマ時代の石棺が中世に再利用されたことと整合します。

遺体は木棺に納められ、石灰で覆われてから石棺の中に置かれていました。骨には関節炎の痕跡や治癒した肋骨の損傷があり、痛風も確認されています。

ロッドウェルは、十字が彫られた石棺に丁重に埋葬されていたことなどを根拠に、故人は修道院長だったと論じています。ウェストミンスターの修道院長の在任期間と人骨の年代から、候補はWulfsige、Ælfwig、Wulfnothの3人に絞られました。

Ælfwig説を支える年代と移葬記録

Wulfsigeは在任中に別の場所で司教となったため、寺院に埋葬された可能性は低いとされています。残る候補のうち、Ælfwigがすでにウェストミンスターの修道士だったことが、ロッドウェルの見立てを支えています。

墓は当初、アングロ・サクソン時代の寺院の東側に埋められ、石棺のふたは床面に十字架状の石板として組み込まれていたと考えられています。ヘンリー3世が1240年代に寺院の再建を始めた際に墓は移設され、1258年ごろに新設の聖具室の中庭へ移されたとされています。

移設後、石棺は再び地中に置かれ、1869年に発掘されました。現在はウェストミンスター寺院のクイーンズ・ダイヤモンド・ジュビリー・ギャラリーズに展示されています。

中世に再利用された石棺の例

ローマ時代の石棺を中世の埋葬に使った例は、ウェストミンスター寺院以外にもあります。リンカーン城では2013年、10世紀のアングロ・サクソン時代の埋葬地から、再利用された可能性の高いローマ時代の石棺が見つかりました。

イベリア半島の中世における古代石棺の再利用を扱った研究では、個別の事例を調べ、元の場所から再利用後の場所までを追っています。対象には、古代に作られた石棺を中世の埋葬に用いた事例が含まれます。

この研究は、西ヨーロッパでの再利用を、王朝や歴史上の有力者と結びついた慣行として位置づけています。ウェストミンスターの石棺も、ローマ時代の品が中世の有力者の埋葬に使われた事例です。