Portrait of Elizabeth I of England , the Armada Portrait
写真: Formerly attributed to George Gower / Public domain / Wikimedia Commons

イワン4世はエリザベス1世に複数回、結婚をほのめかす書簡を送りました。エリザベスは明確な拒絶を避け、求婚に応じず、貿易関係を損なわないようロシア側の期待を慎重に扱いました。モスクワ会社の独占権をめぐる対立の後、両国の関係が持ち直した背景には、ロシアの軍事的危機もありました。

求婚への明確な返答を避けたエリザベス

エリザベスは即位後、結婚を急ぎませんでした。姉メアリー1世とスペイン王フェリペ2世の結婚が不人気を招き、イングランド最後の大陸領カレーを失う結果にもつながったことは、結婚を避ける理由の一つでした。

独身であることは外交上の交渉材料にもなりました。脅威や貿易停止の恐れが生じると、エリザベスは相手国と結婚交渉を始め、危機が過ぎるまで話し合いを続けることがありました。結婚すれば、この手段を失います。

イワンは1570年の書簡で、エリザベスの対応に怒りを示しました。1574年にも「その事柄」「その仕事」に触れ、両国の友好を深めるよう促しましたが、エリザベスは結婚の申し出だと断言せず、拒絶も明言しない返答を続けました。

独占権が支えた英露貿易

モスクワ会社は、イングランドの商人による対ロシア貿易の組織でした。1555年に特許を得て英露貿易の独占権を持ち、航海ごとに資本を返すのではなく事業を継続する、初期の株式会社の仕組みを取り入れていました。

取引では、イングランドから毛織物や金属などを送り、ロシアから麻、獣脂、船具用の綱などを運びました。王室の特許に基づく独占権は、イングランド側の商人にロシアとの取引経路を与えると同時に、ロシア側にもイングランド製品の市場と輸出先をもたらしました。

貿易経路の開拓は、会社設立の目的の一つでもありました。1553年、リチャード・チャンセラーは北東航路を探す航海で白海沿岸に到達し、モスクワとの交易関係を築きました。イワンは、バルト海を通れない状況でイングランドへつながる海路が開けたことを歓迎しました。

モスクワへの攻撃が変えた交渉環境

1571年、クリミア・ハン国のハン、デヴレト1世ギレイがモスクワへ進軍し、市街地は火災で大きな被害を受けました。イワンは財宝を持って北方へ逃れる準備をし、白海からイングランドへ渡る経路を避難先として考えました。

この危機の後、イワンはイングランドとの関係を重視するようになりました。1572年にロシアへ赴いたイングランド大使アンソニー・ジェンキンソンと面会し、女王本人に伝えるべき秘密の用件があると示唆しました。その後、イワンはモスクワ会社の独占権を回復しました。

チャンセラーは北ドヴィナ川沿いのホルモゴルイに到着し、そこからモスクワへ向かいました。

いとこへの求婚にも応じなかった女王

1582年、イワンはエリザベス本人ではなく、遠縁のいとこメアリー・ヘイスティングズとの結婚を提案しました。エリザベスは、すでに複数回結婚していたイワンと親族を結びつけることを望みませんでしたが、相手を怒らせることも避けようとしました。

女王は宮廷で疫病が広がったとして、ロシア大使の訪問を遅らせました。大使フョードル・ピセムスキーと会った際には、宮廷で大使を迎え、メアリーは美しくないためイワンを失望させるだろうと伝えました。結婚交渉を進めずに、申し出をかわす対応でした。

イワンの求婚は成立しませんでした。