
キルギスのイシク・クル湖では、シルクロード沿いに栄えた中世の都市遺跡を水中で調査しています。陶器や動物の骨、建物の痕跡は、中央アジアの交易や人々の暮らしを探る手がかりです。
湖底に残る都市と交易路
遺跡は、中国とヨーロッパを結んだシルクロードの一部に位置します。この交易路は紀元前2世紀ごろから15世紀半ばまで続き、遺跡周辺の区間はテュルク系王朝のカラハン朝が支配していたと研究者は考えています。
都市の名称や人口は分かっていません。研究者は広さを最大約5平方キロメートルと推定していますが、遺構の年代を正確に定めるのは難しい状況です。2カ所の墓地の痕跡からは、地域でイスラム化が進んだ時期との関係がうかがえます。
ロシア科学アカデミーの資金で2024年に始まった調査は、19世紀に遺跡が再発見されて以来、初めての本格的な調査です。約20人の研究者やダイバーが湖底を調べ、遺物を回収しています。
陶器や建物が示す暮らし
調査では動物の骨や陶器の破片が見つかりました。骨は当時の人々や動物の食生活、遺物の年代を調べる材料になり、陶器は製作地や製法、時期を探る手がかりになります。
比較的良好な状態で見つかった遺物には、子ども用の便器「トゥヴァク」があります。遠征責任者のマクシム・メンシコフは、同種の便器が現在も中央アジアやコーカサスで使われていると述べ、都市の日常生活を伝える品として紹介しました。
装飾のある公共建築の痕跡も確認されています。モスク、公衆浴場、宗教学校のいずれかと考えられていますが、建物の用途は特定されていません。
2025年調査で墓地や建物を確認
ロシア地理学会などが参加した2025年の調査では、湖の北西部にある4地点を調べ、水深1〜4メートルの範囲で焼成れんが造りの建物、石造りの構造物、木材の痕跡などを記録しました。建物の一部には石臼があり、穀物を粉や粗びきにするためのものとされています。
別の地点では、13〜14世紀のイスラム教徒の墓地が見つかりました。墓は約300×200メートルの範囲に広がり、遺体が北を向き、顔をメッカのカアバ神殿の方向に向けた埋葬例が確認されています。
墓地は湖水による侵食を受けています。研究者は男性と女性の遺骨を回収し、人類学的な調査を予定しています。別の地点では大型の陶器も見つかりました。地中に深く埋まっているため、次の調査期に引き上げる計画です。
ポンペイとの違いと水没の謎
メンシコフは調査をポンペイになぞらえましたが、両遺跡の残り方は異なります。ポンペイは西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火で埋まり、ローマ時代の暮らしを伝える遺跡として良好な保存状態で知られています。
水没の原因は確定していません。地滑りで都市が湖底へ沈んだ説のほか、地震後に地形が変化して自然の堰ができ、徐々に水没した説があります。ロシア科学アカデミーの地質学者アンドレイ・ストレルニコフは、過去の大規模な地震災害が有力な説明だと述べています。











