
第二次世界大戦末期にドイツが開発していたB8原子炉は、持続的な核分裂連鎖反応に必要な重水とウランが不足していました。新たな分析は、開発を率いたヴェルナー・ハイゼンベルクが戦後に述べた「完成間近」という見方を退け、原子爆弾につながる原子炉の実現には至っていなかったと結論づけています。
B8原子炉の規模を残存資料から再検討
ドイツの研究者たちは、重水タンク内にウランの立方体を鎖でつるし、5つの同心円状に配置するB8原子炉を計画しました。ラジウムとベリリウムを組み合わせた中性子源から中性子を送り、ウランの核分裂を始める設計でした。
研究チームは、ドイツの研究グループに配られた数百個のウラン立方体に関する記録を調べ、現存する2個の立方体も測定しました。記録と実物の測定値を組み合わせ、当時の測定結果とよく合う原子炉の数学モデルを作りました。
モデルによると、B8原子炉が保有していた重水は約1,400リットルでしたが、持続的な連鎖反応には約3,000リットル超が必要でした。ウラン立方体も664個、計約1,540キログラムにとどまり、必要量は少なくとも1,200個と推定されています。
重水の供給量は必要量に届かなかった
重水は、水素の同位体である重水素を含む水です。核分裂で生じた速い中性子を減速させ、近くのウラン原子で次の核分裂を起こしやすくします。
ドイツはノルウェーの工場で重水を製造していました。戦時中、工場はドイツの占領下にありました。研究チームの推定では、B8原子炉が保有していた重水は必要量の半分にも満たず、工場が戦争中に生産した量をすべて回しても、必要量には届きませんでした。
ノルウェーのヴェモルク工場では、1943年にヨアヒム・ロンネベルクらの抵抗運動チームが重水の貯蔵分を爆破しました。爆破で工場の生産は数カ月にわたって損なわれ、重水を排水路へ流したことも連合国側に時間を与えました。
その後、連合国は爆撃や別の破壊工作を行い、ドイツによるノルウェーからの重水調達を妨げました。ヴェモルクでの作戦は、B8原子炉に必要な重水の供給をさらに難しくした一連の妨害活動の一つでした。
連鎖反応からプルトニウムを作る工程
原子炉では、ウラン235の核分裂で生じた中性子をウラン238が吸収し、ウラン239になります。ウラン239はベータ崩壊を経てネプツニウム239になり、さらに崩壊してプルトニウム239になります。
実験室で少量を作る方法とは異なり、プルトニウムを大量に得るには原子炉による生産が必要でした。米国の原爆計画でも、より多くのプルトニウムを生産するために原子炉が使われました。
米国のシカゴ・パイル1号炉は、ウランと黒鉛を組み合わせ、核分裂連鎖反応の基礎を調べるために建設されました。その後、X-10炉はロスアラモス研究所に初めてまとまった量のプルトニウムを供給し、ハンフォードの生産炉では照射後のウラン燃料からプルトニウムを分離する工程が進められました。
黒鉛炉もドイツでは実現困難
B8原子炉では黒鉛も少量使われましたが、黒鉛炉の燃料を中性子吸収の少ない状態で作るためではなく、中性子を炉内へ反射させるコーティングとして使われました。研究チームは、ドイツ国内で利用できる石炭由来の黒鉛には中性子を吸収するホウ素が多く、黒鉛を減速材とする原子炉の建設には適さなかったと判断しました。
一方、重水炉を選んでも、重水とウランの不足は解消されませんでした。研究チームは、戦時中のドイツには重水炉も黒鉛炉も建設できなかったと結論づけています。
ハイゼンベルクは1947年、B8原子炉は連鎖反応に必要な量にわずかに届かなかったという趣旨の説明をしていました。今回の分析では、必要な重水とウランはいずれも実際の保有量を大きく上回っており、原子炉は「あと少し」で稼働できる段階にはありませんでした。











