Elon Musk (12271223586)
写真: Tesla Owners Club Belgium / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons

前半と後半で変わる描写

アレックス・ギブニー監督のドキュメンタリー『Musk』は、イーロン・マスク氏の起業初期から、ドナルド・トランプ氏との政治的な関わりまでを扱います。前半は起業家としての歩みを中心に据え、後半はX買収後やトランプ氏との接近を取り上げます。作品は当初の予定より長くなりました。ギブニー監督は上映後の質疑応答で、2024年に作品を完成させた後、HBOの依頼でマスク氏の政治的な変化を追加したと説明しました。

前半では、初期の映像資料とインタビューを交え、マスク氏の過去を振り返ります。後半は語り口がより対立的になり、監督の立場が前面に出る構成です。Ars Technicaのレビューは、この変化によって作品が「異なる2本の映画」のように感じられると評しています。

ギブニー監督は2023年、焦点を絞った作品として制作を始めました。その後、マスク氏が2024年の選挙戦でトランプ氏に接近し、政府の支出削減を掲げるDOGEを率いたことを受け、政治への影響も描く長編へと改めました。DOGEは連邦政府機関の縮小を進め、マスク氏は一時、トランプ氏に近い立場で活動しました。

起業家像をめぐる証言

作品は、テスラ、スペースX、衛星通信サービスのStarlink、マスク氏によるTwitter買収などを取り上げます。また、テスラの運転支援システムに関係する死亡事故や、マスク氏の人工知能(AI)への姿勢の変化、トランプ氏への支持、DOGEでの活動にも触れています。元妻ジャスティン・マスク氏、テスラ共同創業者マーティン・エバーハード氏、研究者ジェフリー・ヒントン氏らがインタビューに登場します。

エバーハード氏は、2000年代初頭にマスク氏から「テスラの創業者であることは誰にも奪えない」と告げられたと振り返りました。その後、マスク氏がテスラの成功を自分だけの功績として主張し、創業者の肩書をめぐる争いが起きました。最終的に和解が成立し、エバーハード氏とマスク氏を含む5人が共同創業者を名乗れることになりました。

作品は、テスラの完全自動運転機能を宣伝する映像について、撮影を担当した技術者の証言も紹介します。技術者によると、映像は自動運転の実演ではなく、駐車を試みた車がフェンスに衝突した場面でした。また、公的データベースをもとに、テスラのソフトウェアが事故の一因とされた衝突事故に関連する死亡者数を65人としています。テスラは、運転支援機能の利用時も運転者が注意を払い、必要に応じて操作を引き継ぐ必要があるとしています。

AIで再現したマスク氏

マスク氏は作品への出演依頼を受けず、インタビューにも応じませんでした。そのためギブニー監督は、過去にマスク氏が公の場で話した言葉を使うAI生成のアバターを、本人の代わりに登場させました。ロサンゼルス・タイムズのインタビューでは、制作チームがゲーム用の椅子に座るマスク氏のCG映像を作り、過去の音声にAIを組み合わせたと説明されています。

Ars Technicaのレビューは、このアバターをマスク氏の記録映像と比べ、人工的で不気味な印象が強く、記録映像の方が興味深いと評価しました。NPRのレビューも、本人の発言を再現するAI映像は作品の題材と皮肉に結びつく一方、映像としては気を散らし、作品の真剣さを損ねると評しています。

NPRのレビューは、終盤にマスク氏のAIツールGrokへロボットが人類を救うか尋ねる場面や、マスク氏がチェーンソーで政府機関を切り刻むゲーム風の演出にも触れています。ギブニー監督は、ゲームやシミュレーションを好むマスク氏の表現を反転させる狙いだったと説明しました。Ars Technicaのレビューは、作品全体を通じて記録映像の方がAIによる再現映像より説得力があると評価しています。

「高尚な目的による腐敗」という見立て

ギブニー監督の言う「高尚な目的による腐敗」とは、自分は世の中のために行動しているという信念から、規則を曲げてもよいと考えるようになる状態です。監督は、マスク氏の動機は当初純粋だったかもしれないものの、事業を成功させようとする過程で規則を破り、自らを善のために働く存在とみなすことで、その行為を正当化したと説明しました。

ロサンゼルス・タイムズのインタビューでギブニー監督は、善のために行動していると信じると、最初は小さな規則違反でも、次第にさらに大きく曲げてよいと考えるようになると述べています。また、その考えを突き詰めれば、マスク氏は株式で得た利益を使い、米国大統領職を買えるという趣旨の見立ても語りました。

NPRのレビューによると、ギブニー監督はマスク氏の成功の背景に、金融関係者や一般の人々に将来像を信じさせる力があると見ています。同レビューは、監督がマスク氏の言葉と現実との隔たりを取り上げ、テスラの運転支援機能や政府支出削減などを通じて主張を組み立てていると伝えています。Ars Technicaのレビューは、作品がマスク氏を理想主義と富や権力による変化の両面から描く一方、変化の理由を十分に掘り下げていないと評しました。