Amelia Earhart - GPN-2002-000211
写真: Smithsonian Institution / Public domain / Wikimedia Commons

遠隔の環礁へ向かう調査隊

米国の考古学団体 Archaeological Legacy Institute(ALI)とパデュー大学の研究者が、太平洋のキリバスにあるニクマロロ島へ向かっています。1937年に消息を絶った飛行士アメリア・イアハートの機体の可能性がある物体を調べる計画です。調査では、環礁の潟の浅瀬にある「タライア・オブジェクト」と呼ばれる物体を確認します。

調査隊はキリバスの首都を水曜日に出発し、船で約830マイルを移動しています。現地には月曜日に到着する見込みで、島へ入る際は環礁のサンゴ礁にある狭い水路を通る予定です。

タライア・オブジェクトは2020年、衛星画像で初めて見つかりました。パデュー大学によると、その後、1938年までさかのぼる航空写真にも写っていたことが確認されています。画像では小型機の残骸のようにも見えますが、正体はまだ確定していません。

物体の正体と失踪をめぐる説

イアハートは航法士フレッド・ヌーナンとともに、ロッキード・エレクトラで世界一周飛行に挑んでいました。1937年7月2日、パプアニューギニアのラエを出発し、給油のためハウランド島を目指す途中で消息を絶ちました。公式説明では、通信に問題が起き、島を見つけられないまま燃料切れで海に墜落したとされています。

一方、イアハートが進路を外れてニクマロロ島に着き、機体を降りた後に島で亡くなったという説もあります。今回の調査隊が探す物体は、この説に関係する可能性があります。ただし、航空機の残骸だという見方には異論があり、歴史的な航空機の回収に詳しいリック・ギレスピーは、環礁から水中へ落ちた木のように見えると述べています。

過去の捜索でも機体は見つかっていません。2024年には、ソナー画像をもとにハウランド島近くの海底に機体がある可能性が報じられましたが、後に岩の地形と確認されました。2019年にニクマロロ島近くで着陸装置らしきものを調べた遠征でも、手がかりは得られませんでした。

1940年に見つかった人骨と島の遺物

ニクマロロ島に漂着したという説の先行証拠には、1940年に島で発見された人骨があります。発見時には、女性のものと判断された靴や、1918年製の測量用六分儀を入れる箱、ベネディクティンというリキュールの瓶も見つかりました。人類学者リチャード・ジャ​​ンツは、発見当時から人骨がイアハートのものではないかとの疑いがあったと記しています。

人骨を1941年に調べたフィジーの医師は、短身でがっしりした男性の骨と判断しました。その後、骨そのものは失われましたが、1998年に研究者たちが医師の記録を見つけ、記録に残る寸法を法医学人類学者に再検討してもらいました。その再検討では、当時の測定値がイアハートの身長や出自と整合する可能性が指摘されています。

ジャ​​ンツは骨の寸法を、イアハートの身長、体格、手足の長さなどと比較しました。こうした身体情報は、操縦士免許や運転免許の記録、複数の写真から再構成されました。ジャ​​ンツの分析では、島の骨は参照対象となった個人の99%よりもイアハートに近く、男性とした過去の判定をそのまま正しいとはみなせないと論じています。

骨の再分析と残る異論

別の再分析では、上腕骨と前腕の橈骨の長さの比率が検討されました。島の骨の記録から算出した比率は0.756で、当時の女性の平均値として示された0.73を上回りました。歴史写真に写ったイアハートの腕から専門家が推定した比率は0.76で、骨の記録に近いと報告されています。

島では1991年の調査でアルミニウム片も見つかり、リベット穴の並びがエレクトラの修理用パッチに似ているとの分析がありました。同じ年には古い靴の破片も発見され、1930年代半ばの女性用靴とみられました。靴の型は、失踪の10日前にイアハートが履いていたものと同じ種類だとする見方があります。

これらの骨や遺物は、イアハートがニクマロロ島にいた可能性を示す手がかりですが、本人が漂着したことを証明するものではありません。前腕の比率をめぐる分析には、誤差の大きさが分からないという批判があります。航空博物館の学芸員らは、無線交信などを根拠に、ハウランド島付近で海に沈んだという説を支持しています。