Archaeologists kneeling on the ground near stone walls
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森の地表近くで見つかった神殿

ドイツ・フランクフルト北郊のカペルスブルク砦に隣接する集落跡で、ローマ時代の神殿が見つかりました。ヘッセン州の文化財保護当局は、戦いの神マルスにささげられた神殿とみています。建物の遺構や奉納石、彫像の破片から、砦の周辺で暮らした人々の信仰がうかがえます。

発掘調査は、フランクフルト大学のローマ属州考古学セミナーとヘッセン考古学局が2024年から進めています。調査対象は、これまで中心だった砦から、隣接する集落「ウィクス」にも広がり、軍事拠点の外側にあった生活の痕跡が見つかっています。

神殿は長さ約16フィート(約4.9メートル)の長方形で、内部には三方を壁に囲まれた小さな正方形の区画があったと考えられています。考古学者は、中央の礼拝室を屋根付きの通路が囲む「周歩式神殿」だった可能性を挙げています。礼拝室には木製の門か扉から入ったとみられます。

奉納石と女神像が示す信仰

神殿からは、マルスへの奉納を示唆する碑文が見つかりました。また、マルスを表した可能性がある彫像の破片と、勝利の女神ウィクトリアの小像も出土しています。ウィクトリア像には翼、ナツメヤシの枝、月桂冠が残っています。

A broken statue in some dirt
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奉納石は、神への祈りや感謝を刻んでささげた石です。発掘チームは神殿内で見つかった2基の奉納石の碑文を調べており、フランクフルト大学のマルクス・ショルツ教授も解読に加わっています。碑文の解読は、神殿で営まれた信仰を知る手がかりになります。

ローマ時代のブリテン島を対象とする研究では、公共の宗教碑文にローマの神々だけでなく、征服以前から土地で信仰されていた神々の名も記されたとされています。この研究は、軍がラテン語の宗教碑文を広めるうえで中心的な役割を担った一方、軍に直接属さない人々による奉納も残っていると指摘しています。これはブリテン島の事例ですが、カペルスブルクの奉納石も、国境地帯の軍事拠点における信仰を読み解く手がかりです。

砦とウィクスを支えた生活

カペルスブルク砦には、ローマ軍の部隊「ヌメルス・ニデンシウム」が約150年間駐屯し、砦は3世紀半ばに放棄されました。部隊名は、現在のフランクフルト・ヘッデルンハイムにあたる古代都市ニダに由来するとされています。砦の隣のウィクスには、兵士の家族や商人、その他の住民が暮らしていたと考えられています。

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リーメス沿いの砦とウィクスでは、軍事と日常生活が交わっていました。Legio X Fretensisの解説によると、砦の外には浴場、道路、墓地、工房などがあり、ウィクスでは兵士への交易、修理、輸送、食事の提供を担う人々が暮らしていました。住民や兵士、地域の人々の生活は、軍事施設の内側だけに限られていませんでした。

今回の発掘では、神殿のほかに鍛冶場の跡や、穀物を乾燥させた可能性のある窯も見つかりました。ヘッセン考古学局は、鍛冶場などの作業区域が後に整地され、住宅に置き換えられたとみています。道路の痕跡や段々状の造成跡も、集落の配置や規模を考える手がかりになっています。

Die Ausgrabungen im Vicus der Kapersburg (2026)
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保存状態とローマ撤退後の痕跡

カペルスブルクは森林に覆われ、農地として耕されなかったため、遺構が地表から数センチの深さに良好な状態で残っています。森林内では重機を使いにくく、発掘はほぼ手作業で進められています。遺構が良好な状態で残っていることで、建物や地層を細かく記録できます。

神殿の近くでは、ローマ軍の駐留が終わった後の時期に属する留め具と手作りの土器片も出土しました。ヘッセン考古学局は、これらをリーメス放棄後にこの一帯が使われたことを示す初の考古学的証拠と位置づけ、当時この地域にいたアラマンニ人との関係を挙げています。これらの遺物は、軍の撤退後も遺跡が使われていたことを示しています。

発掘チームは、神殿から出た奉納石の碑文に加え、前年に見つかった別の奉納石の解読も進めています。後者の碑文はすでに解読されており、今回の碑文からも集落の名前を含む情報が得られる可能性があります。

A broken pottery jug embedded in the ground
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