
10数メートルにわたる盛土を確認
青森市の三内丸山遺跡で、人為的に土を盛り上げて造られた新たな遺構が見つかりました。確認された範囲は10数メートルにわたり、縄文時代中期のおよそ4600年前以降のものとみられます。
三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期にかけて営まれた大規模な集落跡です。竪穴建物や掘立柱建物、盛土、大人と子供の墓などが確認されています。
遺跡内では、盛土のほか住居や墓、道路も見つかっています。
盛土は残土や生活廃棄物の堆積で形成
三内丸山遺跡で確認されている盛土は、建物や柱穴を掘った際の土、灰、焼けた土、土器や石器などを捨てる行為が繰り返され、周囲より高くなったものです。最終的には小山のような形になりました。
土砂は水平に積み重なっており、地面を整える作業が行われたと考えられています。盛土からは大量の土器や石器に加え、土偶、ヒスイ、小型土器など、祭りに関係する遺物も出土しています。
遺跡の解説では、盛土から壊れたものだけでなく、使用できる状態の品や意図的に壊された土器・土偶、火をたいた跡も見つかったとされています。土を混ぜて整地しながら丘状に積み上げたことから、宗教的、祭祀的な意味合いがあったと紹介されています。
建物や墓が示す集落の区分
三内丸山遺跡では、長さ10メートル以上の大型竪穴建物跡が見つかっています。最大のものは長さ約32メートル、幅約10メートルで、集落の中央付近に多く、集会所や共同作業所、共同住宅などに使われたという説があります。
大型掘立柱建物跡では、直径と深さが約2メートルの柱穴が確認されました。柱穴は4.2メートル間隔で並び、内部には直径約1メートルのクリの木柱が入っていたとされています。
大人の墓は地面に掘られた円形や楕円形の穴で、集落東側の道路に沿って2列に配置されていました。子供は土器を棺として住居の近くに埋葬され、土器には穴を開けるなどの処置が施されていました。
道路や保存の取り組み
集落の中心から海に向かって延びる道路跡は、幅約12メートル、長さ420メートルにわたります。地面を掘り下げた溝状の部分や、土を貼って舗装した部分が確認されています。
三内丸山遺跡の発掘調査は1992年に始まりました。青森県は遺跡の重要性から1994年に保存を決め、翌年から整備と公開を進めています。
遺跡は1997年に史跡、2000年に特別史跡に指定され、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つとして世界文化遺産に登録されました。











