
1998年版の終了と再アニメ化の要望
『遊☆戯☆王』は1998年にテレビ朝日で放送が始まり、東映動画が全27話を制作しました。視聴率が取れないとして放送は中止されましたが、その頃には『週刊少年ジャンプ』の読者アンケートが好調になっていたと、当時の企画担当者だった片岡義朗氏は振り返っています。
集英社で『週刊少年ジャンプ』の編集長を務めていた鳥嶋和彦氏は、片岡氏にアニメを続けるよう依頼しました。片岡氏によれば、鳥嶋氏はテレビ東京で早く放送を始められるよう、放送枠の確保とスポンサー集めを進めてほしいと伝えたといいます。
ただし、別の制作会社が同じ作品名で新作を放送するには、権利上の壁がありました。当時の放送業界では、放送終了後2年半はテレビ朝日が東映動画制作の27話の再放送権を持ち、その間の二次利用も東映動画の判断に委ねられるのが一般的だったと片岡氏は説明しています。
『ドラゴンボール』の権利を交渉材料に
東映動画は、片岡氏が1999年の会議で権利の引き渡しを求めた際、応じるつもりがないことを示しました。そこで鳥嶋氏は、集英社が『ドラゴンボール』の二次利用権を止めると東映側に告げたと、片岡氏は後に聞いた話として語っています。
二次利用権は、作品の放送に加え、再放送や商品化など、放送後の利用を扱う権利です。片岡氏によれば、当時は再放送権をテレビ朝日が持ち、商品化を含む各種の二次利用は東映動画の判断で行われる仕組みでした。
片岡氏は、鳥嶋氏がテレビ朝日に対しても『地獄先生ぬ〜べ〜』などの作品の利用を止めると伝えたと述べています。
テレビ東京版の制作へ
この交渉を経て、東映動画は『遊☆戯☆王』の権利を手放し、テレビ東京で新たなアニメを放送する道が開かれました。後に『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』として知られる作品は、NASが制作を担当し、2000年に放送を始めています。
片岡氏は東映動画版の全27話を見たうえで、主人公・武藤遊戯の家庭や学校での友人関係、カードゲームに触れるまでを丁寧に描いた作品だったと評価しています。一方、新シリーズでは、カードゲームの勝ち方が分かるアニメを目指し、ゲームに詳しいスタッフを制作に加えたと話しました。
主人公の声には、当時中学2年生だった風間俊介氏が起用されました。片岡氏は、普段は気弱な遊戯と、カードゲームを始めるとヒーローのように振る舞う遊戯の差を表現するため、実年齢に近い俳優を選んだと説明しています。原作者の高橋和希氏は当初起用に反対しましたが、収録に立ち会って演技を確認した後、起用を認めたといいます。
アニメとカードゲームの結びつき
『遊☆戯☆王』では、テレビシリーズの展開に合わせてカードが追加され、アニメとカードゲームが連動してきました。コナミの開発者は、アニメに登場する新しいカードで遊びたいというファンの需要が、ゲーム作品を作る理由の一つだったと述べています。
コナミは2000年代前半の5年間に、複数の機種向けに20作以上の『遊☆戯☆王』ゲームを世界で発売しました。携帯型ゲーム機ではカードゲームに近い対戦を、家庭用ゲーム機ではアニメのモンスターや登場人物を題材にした作品を展開したと、同社のシニアプロデューサー、チャールズ・ムラカミ氏は説明しています。
アニメの各シリーズに合わせて新カードを取り入れる方針も続きました。ムラカミ氏は、視聴者が番組に登場する新カードで遊びたいと考えるため、放送中のアニメをゲームに反映するのは自然だったと語っています。











